「恋する妊婦」楽日 (計5回鑑賞しての総評)2月28日

思い起こせば、まだファンクラブのBBSがうまく機能していた当時、「隠れる女」の解釈についてBBSで意見を述べ合いましょう的な提案が、キョンちゃんからされたことがありましたよね。二度目の舞台で、「難解」な岩松作品に、岸田今日子竹中直人という超個性派役者との共演ということで、かなりの不安要素があったんだと思います。シナリオをどう解釈して、どう演じればいいのか、手探り状態で臨んだ結果の「提案」だったんだろうなーと。

それが、濱マイクシリーズの「私生活」の撮影中、入院中の小林薫さんをキョンちゃんが見舞うシーンで、小林サンが岩松監督に、「病気は何?」と聞いたら「え?なんでもいいじゃん」と答えた時に、岩松監督のことが分かったということだけど。すなわち、その時に「演じている時に言葉や感情にいちいち責任とらなくていいんじゃないか」と思ったことが、「分からないことは、色っぽい」と、開き直って演じている「今」に繋がっているという認識でいいのですよね。

そのスタンスが、「シブヤから遠く離れて」の舞台では、演技する度に異なった(心理状態の)マリーで登場するという結果になったのではと、ボクは解釈したわけです。(逆に言えば、毎回微妙に変わる「小泉今日子」の演技に、役を解釈しきれていない、という批評も当時では少なからずあったわけで)

舞台は、一発勝負の作品です。その回の舞台は、そのとき観客席にいるお客さんだけのために、演じられている「作品」なわけです。だからこそ、その観客の特性にあわせた演技をするのが「プロ」だとボクは思う次第です。極端な話、観客席に70才以上のおじいさんとおばあさんのカップルしかいない回では、それに合わせた演技が求められるハズであると。舞台は、毎回違う出来を魅せてくれるわけですから、観客側としても、毎回違う解釈をしても構わないでしょう。だから、観客も、分かろうとせずに、その回その回を楽しめばいいと思うのです。毎回、自分の心理状態によっても、「異なって」感じられる作品なのですから。

それにしても、5回観て、一度も誰も噛まない舞台に遭遇できなかったことは、集中力が欠けていたと言われてもしょうがないでしょうね。芸達者な人を集めていただけに、残念でなりません。NHKでの放映は、あの全員が大きくとちった20日のソワレが使用されるとしたら、そしてそれが後世に残るとしたら、たまらないでしょうね。

楽日は二階ML席の最後列だったので、舞台終わってすぐ楽屋に行ったら、早すぎて先頭になっちゃって。奥田&安藤サンや、クドカンや前田忠氏より前に並んじゃっていいのか?と思ったので、タイミングよく通路に顔を出した南朋さんに挨拶して、ファンクラブの女性の方に差入品「湘南名物タタミイワシ」を託して、楽屋を退散してしまい失礼いたしました。タタミイワシはお口にあいましたでしょうか、小雨ちゃんの?(笑)