冬瓜のお吸い物(63日目)

ぼくは父親似であると、よく言われる。

顔の輪郭も、個々のパーツも(特に鼻のラインが)、
一見おっとりしているが、やるときはやる、というド根性も、
そっくりと、されている。

そういう意味では、2才上の兄貴は、母親似である。

くっきりした二重の眼、はっきりと表に出す好き嫌い、
自分が目立たなきゃ、という見栄を含む精神・・・


で、ぼくは母親が嫌いである。
その教育に対する考え方・・・・・
自分が、頭が良かったのにもかかわらず、貧乏だったせいで
今でいう高校にいけなかった、から、息子には
エリートコースを歩ませてやりたい・・・。

というより・・
自分が進学できなかったことに対する口惜しさを、
息子に託し・・・一流の学校へ行かせることによって、
多分、自己表現=自己満足する・・・。

その考え方をベースにして決定されたであろう、
我々兄弟の進路・・・幼稚園から越境入園をして、
いわゆるエリート進学コースを歩まされる・・
その道を歩むことに疑問を持つことがないようなほど洗脳される・・・

洗脳 という言葉は、自己逃避や責任転化につながるので
使用するのは躊躇ったが、やはり中学進学までは
「洗脳」されていた という表現がふさわしい、と思う。

逆に言えば、自分の子供をある意味で「洗脳」することが、
家庭での「しつけ」であり、「教育」なのだと思う。

卑近な例かもしれないが・・・
坊主家では、父親と一緒に風呂に入るとき、
中日ドラゴンズの背番号1番から10番までの
選手の名前と、そのポジション」が言えないと、
湯船から出られないという儀式があった・・・

全国的にはマイナーチームのファンであることを
息子に継承することも、立派な「家庭教育」の一環である。
 と、思う。  きっぱり!

これは、これでよいのだが・・・


・・・話をもとにもどそう。

母親の教育に対する考え方は嫌いだったが、
彼女がつくる「冬瓜のお吸い物」は、好きだった。

25年前、4年間の米国留学を終えて帰国した際、
ナニが一番食べたいのかと尋ねられた時、
帰国した時が8月だったということもあったため、
「冬瓜のお吸い物」と答えてしまった。

その答えに母親が過剰に反応してしまった・・。
・・・という、イヤな想い出はあるが・・


「冬瓜のお吸い物」を、きょう食べた。

  夏を感じて、おいしかった・・・

妻が、ウチの母親から直伝された唯一の料理だと思う。
東京では、あまり、食べないらしい。
(東京生まれ、東京育ちの妻は、結婚するまで
  食べたことがないといっていたし・・)