鯵の開きの価格差に関する追加考察

新入社員から15年くらいは、味覚テストなる市場調査をかなりの回数こなしていたので、こと味覚に関してはボクは結構うるさいのである。べつに、だからグルメなのだとかということが言いたいのではない。味覚なんてモノは、全く持っていいかげんなシロモノなのだということがいいたいのだ。

全く同じモノを食べたとしても、その人の体調次第で「味」の印象は大きく変わる。ましてや、その直前に何を食べたのかによっても、「味」の印象は大きく左右されることは、誰でも体験済みだろう。

全く同じモノを二つ用意して食べてもらい、どちらがおいしかったのかを問うと、8割以上の人はどちらか一方を挙げる、つまり、食べた二つは同じモノだと言い当てることができない。ちょっと意地悪なようだが、このテストを3種類繰り返し、全てのテストで「同じ」だと答える人は、1〜2%にすぎない。業界的にはこの人達には、「すぐれた味覚の差異判別能力」がある、としている。 が、それだけのことである。この人達がグルメだというわけでもない。同じ味を同じだと判別する能力は、おいしさを知覚できる能力とは異なるというわけだ。

ところが、この能力を持った人達に、先ほどの全く同じモノを、「こちらのモノは200円、こちらのモノは300円」といって食べてもらうと、とたんに「300円の方がコクがあっておいしい」とか言い出しちゃうのである。つまり、「価格差」という情報に、「味覚」の印象はカンタンに左右されてしまうのだ。これは「価格差」だけではなく、「パッケージ」、「ネーミング」などその他の情報についても、ほぼ同様の結果となる。

(それらの情報を効率よく伝えることにより、「味覚」の印象を変化させる手段が、「広告」というわけだ。)

ま、ことほど左様に、我々は味覚に対して、いい加減な尺度しか持ち合わせてないのである。こういうことを全てふまえて見てみると、贈答用の鯵の開きに400円という大胆な価格設定は、非常に納得がいく。
その次のランクの240円も、ほどよい価格差で合格点だが、一番下ランクの150円モノは、この店の贈答用としては相応しくない。 という、強引な私的意見でした。