鯵の開きの価格差に関する若干の考察

いつも贈答用に利用している地元の干物屋の、三種類ある鯵の開きを食べ比べてみた。それぞれの価格は、150円、240円、400円。値付けに価格差がありすぎる印象なので、ほんとに知覚できるそれだけの差があるのかどうかが、比較ポイントだ。

まず、この価格差だが、なにゆえにこの価格(差)なのかを推察してみた。おそらく、150円からの発想ではなく、400円から決定された価格であろう。最高値から、それぞれの6掛け、つまり4割の価格差をつけていることがわかる。(400円の6掛け=240円。さらにその6掛け=144円) この根付け方法の是非を論じるよりも、話を先に進めよう。

一般論として、知覚の世界で「差がある」と認知できるのは、2割の差であるといわれている。たとえば、眼をつぶってA、Bの物体をそれぞれ右手と左手に持って、AB間の重さに差があるとわかるのは、両者の差が2割以上あるときだということだ。1kgに対しては1.2kg以上か、0.8kg以下じゃないと有意な差は普通の人では感じられないとされている。そういう状況認識があったかどうか知らないが、この干物屋は、それぞれに2割の倍の価格差をつけているわけだ。

店の人に聞くと、この格付けの差(値段の差とは言わなかった)は、鯵の大きさというより、脂ののり具合と、肉厚さ加減だそうだ。確かに150円ものと240円ものとでは、ほとんど大きさの差は認知できない。(400円ものは、見た目で差が解るほどでかいが)

まず150円ものを焼いて食す。うん、うまい。焼きたては、身がほくほくで身離れがよく、十分うまい。特に骨に面している飴色状の部分の美味さは、その辺のスーパーで売ってる開きと明らかに美味さが違う。

次に240円もの。ほっくりした身の厚さが、ちょっとした充実感。食べ比べれば、脂のノリ差がはっきりと解る。150円ものがしっとりしている感じなら、こちらは明らかにジューシーだ。うめえ。

400円ものはどうか? おお、箸を差し込んだ感じからして違う。240円ものに、安直に「ジューシー」という表現を使うんじゃなかった。。。。これは、どう言い表せばいいのだろう。 もはや、鯵の開きじゃないな、これは。先の二品と同列に並べられないほど、差が、見た目にも味覚にもある。うん。確かに、これを食べたら、ほとんどの人が「今まで食べてきたのは、はたして本当に鯵の開きだったんだろうか?」とびっくりするだろう。

というわけで、贈答用という特性を考えると、400円ものでガツーンとやっておく意味・意図は、かなりよくわかる。贈り物に「どうだまいったか」の意を一緒に添えられるのも贈る側にとって心地よい。だけど、自分で買って食すなら、240円ものが上限だな。それで十分美味いから。それにしても、この価格差がデカイのはどうよ? という部分には、全然切り込んでいないなー。ま、いいか、今回は。

 小さな穫りたて地鯵なら、3匹100円で売ってる時もある茅ヶ崎からのレポートでした。