老犬・雷電(ライデイン)

おとといくらいから、ライ(ミニピン・14才)の食が急に細くなった。昼間も夜も、朝夕の散歩のとき以外は、ほとんど寝ている状態なのだが。 一日に何回かは水を飲むために、(普段寝ている)リビングから水飲み場のあるダイニングの端まで7〜8mの距離を、ヨタヨタと不安定に歩いていくのだが。 既に目は見えず、耳も遠くなっているため、匂いと「カン」だけを頼りに歩いているようなのだった。

やっとの思いで水飲み場につくと、懸命に水を飲む。いや、正確には「飲む動作をする」だな。 若い時に比べて、一回の舌の往復で口にすることができる水の量は、恐ろしく減っているのだろう。 3分くらいは、舌を水につけたり離したり(要するに飲む動作)をしている。

水を飲み終わると、また寝床へのヨタヨタ不安定&方向定まらない歩きがはじまるのであった。この移動の途中の、ダイニングとリビングをつなぐ渡り廊下的な場所で足を踏み外して、地下までの二階層をまっ逆さまに落ちたのは、記憶に新しい。

そのライが、今朝 天海と早朝ジョギングに行く直前の6時15分頃、寝床を抜け出してもがいていた。もがくというか、4本足で立ってはいるのだが、その状態からなにも位置移動ができずに、手足をけいれんさせているという、そう、生まれたての子鹿のような不安定な動きをしていたのだった。

これは起きがけのおしっこかなと判断し、ライの体をひょいと抱いてトイレシートを敷き詰めた(老犬用)トイレに運んでやる時に。。。。!  あまりの体温の低さにびっくりした。ここ二日間、そんなにドッグフードを食っていないことを知っていたので、脇腹から腰回りの肉付きのなさについては予想の範囲だったけれども、体温の低さにはほんとにびっくりしたのだった。 そしてその時に、「ああ、もう長くはないな」と感じ取ったのであった。

お昼近くに、妻からメール。ライを行きつけの病院に連れて行って栄養剤を注射してもらったが、体温が低い(30℃を割っていた)ので、きょう・あすに死んでも不思議ではない状態であるとの診断だったらしい。家に帰ってきてホカロンで暖めながら寝ているとのこと。

夜、鹿児島から出張で上京した同期と飲む。オレが福岡に転勤していた時に福岡にいたヤツなので、今思えば、0才時のライを知っている貴重なヤツだったわけだ。そいつと別れ、東海道線に乗って茅ヶ崎駅に着いたとき、ライが死んだと妻から知らされた。

妻が見ている時に、二度むせるような咳をして、息を引き取ったらしい。ちゃんと、家族の中で一番長い時間をともに過ごした妻に看取られての大往生だったと思う。息を引き取ったライ(雷電)の表情は、とても穏やかだった。

深夜、日付が変わってから風が仕事から帰ってきて、ライの死を知らされる。その時は誰の眼にも涙はなかったのに。。。。ダイニングで3人で飲み始めるなり、3人とも穏やかに涙を流しはじめたのだった。それぞれの酒を飲みながら、あの時はこうだった、ああだったと。ライの想い出ばなしを。 思えば、ケニヤが10才、風が8才のときに、ライはやってきて、ケニヤのすぐ上の家族順位を手に入れていたなー、とかとか。

3人がそれぞれに、穏やかに泣きながら 酒を飲み、ライとの想い出を語り合う。 なんか、すごく満ち足りた時間を共有した気がする。 鼻水をたらしながら、涙を流しながら、それでいて普通に酔っぱらいながら、想い出をとめどなく語る風の姿は、天国からライが見たならば、きっとうれしがるに違いないと、また3人で語り合うのだった。

死後硬直が始まりかけたライのカラダの格好を整えるために抱っこすると、空中でもその形を変えないライに、14年間いっしょの家族でいてありがとうと語りかけたら、ライの姿がまたにじんでしまった。

あと一ヶ月生きたら、15才だったなー。 合掌。