「労働者M」 鑑賞一日目(ネタバレあり!)その3/

観終わっての充実感、というか、満足感が足りない点が致命的。こればっかりは、感覚的なものなので、何がこうだからという説明はできないが、それゆえに総合的な判断要素として今までボクが最も重要視してきたものである。

まず気になったのが、これだけの芸達者なメンバーにもかかわらず、数名がセリフを噛んでいたことだ。この、舞台人として恥ずべき現象は、「本」の完成が開幕直前まで遅れた(もしくは未だに完成していない)ことを意味していることにほかならない。

また、作品の内容を理解することが、作品を鑑賞するすべてではない、という考え方も理解できないわけではないが、「近未来の収容所」と「現代のある事務所」の二つの異なる世界が登場すれば、その世界を描いた意味や理由が知りたくなるのが普通の思考だろう。しかしながらそうなった経緯が(ケラ氏の正式コメントではないが)「近未来のシナリオを書いていて、今イチしっくりこないので、現代のダサイ世界をシンクロさせることにした」というのでは、余計に二つの世界の関係が気になるわけだ。ましてや、そのことを前説でくどいほど述べるわけだから。

然るに、その関係を提示することなく、舞台は出演者たちの不可解な笑いの場面で、突然、幕となる。この終わり方は、学生臭が抜けきらない弱小劇団のシナリオライターが、収拾のつかなくなった物語を無理矢理終わらせるための伝統的(?)手法だ。昔のケラ氏なら、公演中でもシナリオをよりよいモノに修正していき、楽日には立派な舞台に仕上げるだろうが、今回はパンフの「ゼロへの衝動」を読む限りでは、既に完全に開き直っており、それは望むべくもないらしい。

さらに、「革命喜劇」を謳っているわりには、笑いは、犬山と松尾の個人技や、「二度見」「カルピスの濃度」といった使い古された手法に委ねられている感は否めない。

などと本公演に対するダメだしは、いくらでも出てくるが、そんなことをしていても9000円がもったいないだけなので、少しは良かった点についても記しておきたい。すぐ前にも書いたが、犬山イヌコ松尾スズキの、観客を笑わせることに関する「技」は、やっぱりすごいし、好きだなー。
さて我らがキョンちゃんの演技は、秋山菜津子と比べても既に遜色のないレベルにあると思うが、如何せん、声質が舞台女優としては優しすぎる点は、どうしても気になってしまうのであった。(映像や語りでは、この声質が生きてくるのに)

来週の火曜の二度目の鑑賞で、どう評価が変わるのか、こりゃ自分でも楽しみになってきたぞ〜。