労働者M 2月14日19時〜 二回目鑑賞記(ネタバレ有り!)

今回のシアターコクーンで、前から三列目までに陣取っているのは、SISカンパニー経由でチケットを入手した堤真一ファンたちであろう。その真横に左右とも設置された2台のWOWOWのカメラを見つけて騒いでいる。最近の舞台の話題作は、ほとんどWOWOWで放送されるから、これもそうなのかな。

なーんて思ってたら、ほんとは昼の回を収録する予定だったのに、音声トラブルで30分間中断したために夜の回での収録になったと、後日知ることになる。その30分間に、堤、松尾、池鉄らにキョンちゃんも加わって(ただし、彼女はすぐ引っ込んだらしいけど)、おもしろトークや、観客からの質問コーナーまであって、ファンクラブの集いのようで、芝居をやらずにこのままずーっと、トークをやってたほうがよかったんではないか、と出演者の一人が言っていたように。

昼の終幕から30程度の休憩の後、はじまった14日のソワレは、前回と内容は変わっていないのに、前回同様、数人がセリフを噛みまくるという、なさけない出来だった。これも30分の休憩の間に、楽屋に訪れる人の対応や、弁当(この日は松尾が津多屋の「のり弁」を差し入れたらしい)を食ったりしなくちゃならないので、平常心で舞台に臨めなかったから、なーんて言い訳は、プロならできないでしょ。

近未来が「共産主義」の、現代事務所が「資本主義」の不条理を表現した設定になっているらしいのはわかるが、双方の存在意義が最後までつながらない。(同一舞台上に、両方の設定の人物が立つ、という設定はあっても)シナリオ上、重要な場面になるとセリフやらストーリーが「欠損」する、という設定は、シナリオが思うように書けなかった言い訳としか、やっぱり聞こえない。BUNKAMURAのHPなどで開幕後次々に、手前味噌的な解説を追加していること自体が、やっぱり胡散臭く感じてしまうのだ。

重要な場面でセリフや展開を「欠損」させてまで、ストーリーを見させないのであれば、いっそのこと「あたかもストーリーに沿って展開されるかのような設定のコント集」と位置づければ、すっきりする。そうだ、これは演劇ではなく、コント集なのだ。古典的な設定の くすぐり場面や、個人技に委ねた「笑い」が散りばめられた、トータルとして見てもたいした意味のない「コント集」。 

ようやく、納得がいった。けれど、これで9000円は、いくらなんでも高すぎだろう。キョンちゃんが出ていなかったら、あとのチケットは売りさばいていたに違いない。そしてケラ氏の書き下ろしの新作は、二度と観に行かないぞと、心に決めたであろう。(旧作の再演=カラフルメリィでオハヨ〜等は、別ということね)