「一瞬の風になれ」

佐藤多佳子の小説は、「黄色い目の魚」で熱い感動にやられて以来、「しゃべれどもしゃべれども」「神様のくれた指」等どの作品を読んでもボクのココロにびんびん響く、波長の会った文体だな〜と確認していた。

で、新作書き下ろしの「一瞬の風になれ」は、昨年の8月に発行され、それから毎月一冊ずつ、10月までの3冊で完結するという方式で出てきた。へん、講談社の狙いは解るが、彼女の作品を一冊読むのに一ヶ月もかかる訳はない。すなわち、一冊読んでから次の巻が出るまで悶々と過さねばならないことは絶対イヤだったので、3冊を手元に確保してから読み始めようとしていたのであった。

そうこうするうちに、至る所でこの小説の評判がうなぎのぼりになってきて。書店の店頭にも「2006年度のナンバーワン」と書かれた手書きのチビ宣伝板などが、なんとなくボクの買う気をそいでしまった格好になったわけだが。本読み者として尊敬するokkaさんも「バッテリー」「DIVE!」と合わせて青春スポーツ三部作として位置づけ、絶賛していたし。

でもやっぱり、すぐには買う気になれず、そうだ、ブックオフ等にもう出てないかな?と調べ始めたとき、本よみうり堂(読売新聞の書評欄)にてキョンちゃんがこれを取り上げて、誉めちゃったのであった。こうなりゃ、もう買わざるを得ない(笑)。三冊いっぺんの大人買いして、はじめて三冊夫々の厚さの違いに驚く。(その3は、その1の二倍はある厚さ)

唐突だが、実はボクは足が速い。小・中・高と、ずーっとリレーの選手だったし、そのアンカーを走ってきた経験者である。(主人公のベストタイムより1秒以上も遅いが)だから、リレーを走る者としての実感とか、わかりすぎるくらいにわかってしまうのである。一巻目を読み始めて間もなく、最初のリレーのシーンで、もう涙で文字がうるんで読み続けられなくなったり。

一巻の途中でキョンキョンが小説内に登場してびっくりする。主人公の父親が大のキョンキョンファンという設定なので、躊躇なく感情移入できる(笑)。三巻では、特訓場所として茅ヶ崎海岸が出てくる。お〜、ここは多分毎朝走ってる場所だ(多分ね)、と、また感情移入する。っていうか、これはもう、ボクを感動させるために書かれた小説なんだとすら、勝手に思って読み進む。

朝の通勤電車の中で、涙をふきふき読み続け、乗り越したことも。帰りの電車で読むと、家まで走って帰りたくなるような。いつもの多佳子節よりも、もっと感情を前面に出した簡潔な文で、ほんとにぐいぐい読ませる。この本の批評で、誰もが書いているのが、「読むと走り出したくなる」という表現だが、陳腐だけど、的を射ている。はい、的は「射る」もの、当は「得る」もの。

三巻のクライマックスに入る前に、ああ、やっぱりここで終わっちゃうんだ〜。と思うと、先に読み進むのがもったいなくなって、いろいろな展開を考えて楽しんでると、二巻を読み終えた妻が早く読めとうるさいし。でも、最後の涙は、ほんとに読んでいて感動する涙で。そういえば、「バッテリー」も「DIVE!」も読んで感動はしたけど、泣きはしなかったなと。ちなみに、老眼鏡をかけながら泣くと、いちいちメガネをはずして涙を拭かなきゃならんので、めんどくせーけど、感動はそのめんどくさいだけ多く味わえるもんだなーと(笑)。

さぁ、二回目はいつ読み始めようかなー。