肩鎖関節脱臼における哲学的思考

右腕が、右肩よりも上には(まだ炎症が引かないため痛くて)
上がらない、という状態がもたらす日常生活上の困難さは、
そんなに多くあるものではない、ということがこの一週間で
わかった。

例えば、Tシャツを着る行為。ばんざいポーズがダメなので、
前開きシャツという、別の衣服を使用せねばならない。
これはこの寒さの到来で、仕方のないものだった。

しかし、例えば、ワインのコルクをテーブル上で抜くという
行為は、ワインボトルをテーブル上からいすの座席上に
移動させれば、右腕が右肩よりも上に上げることなく、
簡単に抜ける。

さらに、例えば、洗面所で顔を洗うという行為は、
いつもより顔の位置を低くすることにより、右腕の上げる
位置を下げることができるので、痛みなく洗える。

すなわち。

物事の、相対的な位置づけを変えざるを得ないような、
大きな変化が起きたとしても、その絶対的な次元を
変更してしまえば、何事もなかったかのように、
スムーズに物事は回転していくこともある。

というように。

カラダの一部が不自由になると、人間は哲学的な思考を
好んでするようになるものだ。