クリスマスの日

早朝から、連絡すべきところに電話する。午前8時に、おっさま(おそらく「和尚様」の短縮系だと思うが)が到着し、打ち合わせ後、すぐに読経。オヤジは、この寺の本堂建替えのための寄付集めの発起人となり、鐘突き堂の修理のときも少なくない援助をしてきたが、その当時のおっさまはかなり前に亡くなり、その息子さんも早くに亡くなったため、今のおっさまはその孫にあたるまだ40才になりたての住職である。

その40才のおっさまが、「○○さんの時には、最高の格式の葬儀をすること」が先代からの申し送り事項であるとして、葬儀には総勢7名で臨むという。それはそれでありがたいことだけど、その分お布施は高くしないでいいのかな? あんなに寄付してきたんだったら、葬儀くらい無料でやってくれてもよさそうなものなのにな。

午前中に親族が次々に弔問に訪れる。オヤジの一番下の弟(オヤジは10人兄弟の一番上で、年令も20才以上離れている)が、オヤジの顔を見るなり、「にいちゃーん、にいちゃーん」と号泣しだした。まるでドラマのように。 それが、オヤジの死に対して最初に涙した人だった。突然の号泣に、ちょっと涙腺が緩む。

午後から葬儀の会社から派遣された入浴部隊がきた。軽い素材でできた洋風風呂桶や、ポンプを遺体の横に持ち込み、遺体を石けんとお湯で洗ってくれるサービス?である。そうすると遺体に、やや赤みが戻るらしい。ひげ剃りと散髪もしてくれ、パジャマから白い衣装に着替えさせ、懐に六文銭(三途の川の渡り賃)を持たせる。榊を水につけ、それを唇につけることで死に水を取る。

通夜式、葬儀告別式のスケジュールやら細かな段取りの手順まで葬儀社の担当と打ち合わせて、一つずつ兄貴と姉貴で決めていった。葬儀は、オヤジと兄貴の会社の社葬にするが、葬儀委員長は設定せずに極力、個人葬に近い形とした。ここまで確認して、ひとまず茅ヶ崎に戻ったのだった。