葬儀・告別式

日の出前に起きて、第一陣を隣のファミリーレストランに朝食に出す。結局、親族控え室に泊まったのは、12人。睡眠薬を飲まなかったうきょうが、寝ずに線香当番をやってくれた。えらい!

9時ごろから親族は既にスタンバイ状態で、焼香順に決められた席に着いて待たされる。9時50分、定刻通りに住職軍団登場。おっさま以外の6人は、いわば楽隊だ。小鐘、小太鼓、小シンバルが各二人ずつ、向かい合う形で椅子に座る。読経の時は、フレーズによっては7人の合唱だったりして、音にも声にも重みが増す。荘厳な40分間。

実は生まれた時から実家では、毎朝オヤジが朝飯前におツトメ(読経)するのが習慣だったから、通常のお経はそらんじているので一緒に読経。(メロディや抑揚の付け方、ブレスなどは、かなり異なるが)
海軍時代からの友人代表と、会社の従業員代表の弔辞を聞くと、涙があふれてきてしまった。
何なんだろう、悲しさとは違う感情から流されるこの涙の正体は?

最後のお別れという名目で、お棺が前に出され、蓋が外され、皆で生花を入れる儀式。兄貴がオヤジの口元に日本酒をたらす。そういえば酒好きだったのに、晩年は止められていたなぁ〜。もう、浴びる程飲んでいいんだよなぁ〜。
喪主の弟ということで骨壺を持つ係に指名され、皆に感謝の礼。

11時、火葬場に 親戚はマイクロバスで出発。(喪主だけ霊柩車に遺体と同乗)火葬場での焼き方の手順は、茅ヶ崎での愛犬ライのときの手順よりカンタンで、機械的。絶対に感情移入して泣かれて、時間がかかったら困りますからねーというスタンスのようで、そういう扱いをされることは、やっぱり苦手で。

13時過ぎ、焼き上がった骨を拾いに行く。喪主がお骨を骨壺に入れるところを写真に撮ったら、係の人に「ここでは撮影禁止ですから」と注意された。別にデジカメの記録を飛ばされるとかはなかったけど。名古屋市発行の火葬のパンフには、「火葬場には20人以内で、お骨を拾うのは10人以内で」という旨が大きく表示されてはいるが、撮影禁止とは記されていないぞ! と、抗議することもやめておいた。

14時ごろ、葬儀場に戻り、親族全員で会食。49日の法要の発表等をして、喪主の兄貴が解散宣言。
兄貴夫婦とオフクロと共に実家に戻り、後片付けなど。オヤジの死から今まで、オフクロの意識は、それぞれきまぐれに飛び続けていた。「誰が死んだの?」という時と、ちゃんと最愛の夫が死んだということを認識して「あなた〜っ」といって泣く時と。どちらの反応を見ても、たまらないのは変わらなかったけれど。

帰りの新幹線で思ったこと。オヤジの死が悲しいとかで涙は出なかったけど、オヤジがしてきたことに対しての感謝の気持ちを表明してくれる人に対して、「ありがとうございます」という、こちら側からの感謝の意味の涙がこぼれるんだなーということ。うまく言い表せないけど、あふれてきたのは悲しみの涙じゃなくって、感謝の涙なんだっていうこと。これだけは、はっきりと記しておきたい。

それでいいよな、オヤジ?    80年間 おつかれさまでした。