上司の急死

昨日のライブ中、緊急連絡のメールが入る。

直属の上司が急死したという。
すぐご自宅へ向かうように、という指示に、即会場を後にする。

一昨日、検査入院を終えての出社で、元気な姿に安心した
矢先の出来事だったので、ご自宅への移動中も信じられない。

新木場から東京駅、〜東海道線に文字通り飛び乗って、
気持ちを落ち着かせようとしたが。

その間もひっきりなしに、緊急連絡網を通して、ケータイに
連絡が入る。立場上、連絡網の要に位置しているから
仕方がないが、今はそんな「コトバの事実」につきあえない。
申し訳ないが、この目で確かめるまでは。

一報を受けてから一時間半後、ご自宅で奥様から話を伺う。
実はと話してくださった奥様は、ほんとに気丈な方だった。

7年前の大腸がんの手術の時にすでに「あと2〜3ヶ月」と
宣告されていたことをはじめて聞かされる。当時すでに
肝臓、肺、腎臓、などに転移しており、手の施しようが
なかったらしいが。部位ごとの手術を繰り返し、なんとか
本人の希望をつなぎ通した結果の7年になったわけである。

それまでは、文字通り家族を顧みず、馬車馬のように
働いてこられたが、7年前の手術以降、毎年奥様と
ヨーロッパのマイナーな場所を長期滞在型で訪れる休暇の
取り方をされており、その際の奥様とのツーショットが、
居間の写真立てに、数多くあったのが、心和ませた。

奥様は「あと2〜3ヶ月」という医者からの宣告を、
息子さんにも打ち明けることなく、ずーーーっと一人の
胸の内に秘めて7年間も生活されていたことを想像しようと
しても、とても想像できない。

この日記では、意図的に仕事のことは極力書かないように
してきたが。この15年間、ボクは彼に導かれて仕事を
してきたのだった。

具体的に「いまのオレの仕事には、おまえの力が必要だ」
と、社内的に引き抜かれたことが、この15年間で二回も
あったのだった。

とにかくボクにとっては、仕事上の最高の理解者であり、
上司であった彼の冥福を祈るのみである。