「チェロを弾く女」楽日

公演日程が二日しかないということは、初日の次が楽日になるということである。昨日の経験から、今日はビールも飲まずに素面観劇。座席はA列13番。キョンちゃんの正面、前から4列目だ。(昨日はA列14番)更にポケットには眠気さましのガムBlack&Black!
昨日と比べて、朗読は明らかに「流暢さ」が感じられる。舞台の空気感が「なめらか」なのだ。観客サイドも二度目の観劇という余裕があるのかも知れないが、この違いはやはり演じる側の「余裕」「ゆとり」が醸し出した結果だと感じた。
聞くところによれば、初日の当日にゲネプロをやったとか。スケジュールが合わなかったのか知らないが、それはあまりにも「朗読劇」を軽んじてはいないだろうか?(ゲネを当日やるということは、かなり通常のことだと言うご指摘をいただく)それは小泉今日子は、舞台女優であるとともに、いまや日本有数のナレーションの語り手であるからこその感情なのだが。(女優が台本を読みながら噛んでしまうのは、楽器演奏家が譜面を見ながら弾き間違えるようなものではないのかな?)
要するに、初日の上演時間が「1時間30分」だったものが、次の日に堂々と「2時間」と書き換えられている事実は、しっかりした「通し(稽古)」も「ゲネプロ」もしていなかったことを露呈している訳だ。
通常の一人劇ではなく、一人朗読劇だからこそ噛んでしまうことも理解できないわけではないが、あれだけ数えきれないほど噛んじゃあ、観客も狂気の世界に入りきれませぬ。(要するに、一幕劇のシナリオを、朗読劇にした演出意図が「安易」だったのでは?と思わせちゃう)
しかしながら、今日も睡魔と戦っている時、ああ、これは幼い頃、寝る前の枕元で母親が絵本を読んでくれた時に感じた、「あ〜、もっと聞いていたいけど、眠い〜、あ〜どうしよ〜」という微睡みの感覚そっくりなんじゃないかと思いまして。そういえば、開演前に毛布を配るサービスは、どうぞぐっすりとお休みください、と主催者側が言っているようにも思えてきたし。
それにしても、「チェロを弾く女」の公演意図は、一人でも多くの観客を眠りに誘うことだったのかも知れない。