開高健記念館訪問 8月9日夕方

記念館として開館する前に、へぇ〜ここが開高健さんの家なのかと、何度か見に立ち寄ったことはあったけど、2003年4月に記念館となってからは、一度も訪れたことはなかった。
記念館は茅ヶ崎では有名なラチエン通りに面しており、我家からは徒歩5分もかからない距離にある。今年から生前の開高健氏が通っていたことで有名なすし善さんにお邪魔するようになって、正式?に記念館を訪問しなくちゃと思っていたのだった。
1984年の暮れに茅ヶ崎に引越してきて(おお、もう四半世紀前のことかよ)、海の近くに住まいを構える親の義務として、二人の息子に泳ぎを身につけさせるため、スイミングスクールに通わせたのが、開高健が当時週2の頻度で通っていたスクールだった。
そのスクールの壁面には、超デカい開高健氏のオーパ!的な写真パネルが飾ってあって、びっくりしたものだった。氏が亡くなったのは1989年だから、3〜4年は一緒のスクールに通っていたのかな。氏がスクールに泳ぎにきたのは月曜と木曜の午後だけらしいから、ボクは見かけたことはないけれど。もうその時から、泳いだ帰りにラチエン通りのすし善さんに寄っていたんだろうなー。(今の若旦那のオヤジさんの時代)

ラチエン通りからの私道を20〜30m入った突き当たりに建つ、白亜の瀟洒な平屋。背面には松林。手前左側は、最近平地になった。(以前も平地の駐車場だった?)

門柱の表札には、開高健牧羊子の文字が。そういえば、御夫人の牧羊子さんが亡くなって、遺産継承者の妹さんが土地建物を茅ケ崎市に寄贈したので、記念館ができたのだった。

門を入って、正面にあるのが、「入ってきて人生と叫ぶ 出て行って死と叫ぶ 開高健」と彫ってある丸い石。記念館となる前からここにあったのかどうか忘れたけど、こりゃもう、うなるしかない存在感。

その石を正面に見て左側を向くと、家の玄関がある。

その玄関の手前の壁面に、建物の平面図と、今やっている特別展の説明のパネルが。

玄関を入ると、ボランティアのおばさんが館全体の概略説明をしてくれる。この10枚の「ことば」も10枚セットの絵はがきとして売られていることも含めて。

常設展のあるリビングの奥に、増設された書斎がある。開高氏はここで寝起きをしていたらしい。

これを真後ろから見ると、こう。

文机の反対側に、氏の釣りに関するコレクションが壁面に飾ってあった。

左奥に流しがあり、ここでこもって生活できるようになっている。

この書斎とリビングを庭側でつなぐサンルームを、書斎側から望む図。このサンルーム右側奥に建物の外周を通って玄関に通じる哲学者の小径と名付けられた通路がある。

哲学者の小径には、この立て札が。

室内リビングの後ろ側、離れの書斎に続く通り廊下?に、氏の愛蔵酒が陳列してあった。さすが寿屋(サントリー)の宣伝部員だっただけあると思わせるコレクションだった。
ちなみにこの記念館は、土日祝日しかオープンしておらず、入場無料で写真撮影等自由である。



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