「高き彼物」二回目ソワレ 11月25日

下北沢本多劇場K列11番。観客層はやっぱり高齢の方が目立つ。これは加藤健一事務所公演のコアなファン層なんだろうか?
音楽関係っぽい人も多いが、やはりこちらも年代は上のほう。サマフェスでキョンちゃんバンドのバンマスをやっていたベースの上田さん一派とか。
MAXのナナとレイナが我々の真ん前の席に座ったのでちょっとワクワクしてみたりした(笑)
舞台は生ものだから、公演一回ごとで違う出来になることが楽しみなわけだし、観る側の心境によって違う解釈が生まれることもある。これが同じ演目でも複数回鑑賞したくなる理由だ。
前回(20日ソワレ)の時は、占部房子の演技の凄さばかり目立ってしまい、全体的な出来としては「?」な印象を持ってしまったが、今回は全員の(特に主要4人の)演技バランスがとれていて作品としてまとまっていてよかった。
キョンちゃん演じる生真面目な野村市恵も、その生真面目さ故の「面白さ」も、今回の方がより自然に演じられていた気がした。おそらく役者どうしの演技の「間」が、回数を重ねることにより熟れてきたことにもよるのだろう。
今日はNHKのTVカメラが入っていたので(?)、キョンちゃんを含めセリフを噛む場面が前回より目立ったが、そういう場面は多分マチネの画像と差し替えるんだろうな。
脚本は、鶴屋南北戯曲賞を獲得しているだけあって面白いのだけど、鑑賞後の「満足感」のようなものが足りない、というか鑑賞感が自分なりに今いちしっくりこないのは何故なんだろうか。
いろいろ考えてみたが、やはりどうも、劇中に何度も紹介されている、この舞台のテーマともいうべき「屑たばこ集め喫へど志す高き彼物忘らふべしや」の意味(解釈)がボクにとってしっくりこないからではないだろうか。
すなわち、屑たばこを集めて喫する人は、既にその時点で「高き彼物」を追い求めることを諦めている人であり、そういう人に対してまで「高き彼物」を押し付けるのはいかがなものか。
「百害あって一利無し」と解っていても主人公の猪原先生がたばこを吸っているのは、「うまいから」という理由だけであるのは、昭和53年の世相を現してのことだろうが、そういう自分の快楽だけしか考えない人(=他人への迷惑を考えられない人)には、「高き彼物」などとても追求できないのではないか。
というように、いかにも喫煙者を支援するような比喩表現が、ボクには鼻につくのであった。
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