心房粗動カテーテルアブレーション当日(オペの日) 10月4日

6時起床。7時間寝たことになるから十分だ。洗顔してから家族控室で上半身の柔軟体操を、下半身はスクワットとレッグカールを。
今日は朝食抜きなので、9時からの一番風呂を予約。7:30 T−FMを聞きながらベッドの上でストレッチやら筋トレもどきやら。
8:30 から中央棟の階段を7Fから12Fまでの往復、続いて7Fから17Fまでの往復昇降。この程度なら息も太腿も、大丈夫だ。まだそんなに衰えてはいない。少し安心する。
9時からシャワーを浴びて、手術着に着替える。血圧150〜98、36.7度、98%。毎週月曜日にベッドのシーツを変えるらしく、その作業を見守る。
10:30 いよいよ点滴開始。浅野先生が左手首の上側の血管に針を差し込む。「痛くないですか?」と尋ねられても、なにぶん点滴初体験なもので、これが痛いのかどうかは答えられないよ〜。

(点滴静注。当日朝20dでkeep ルートは小児用で三方活栓。一つに大塚生食注TNカテーテル用←点滴に関するメモ)
11:20 妻到着。いろいろと状況を報告し合って、おもむろに紙製のビキニパンティに履き替えて、待機。

12:00 大貫さんに付き添われて、点滴がひっかけられたバーを自分で移動させながら(これが、病人っぽい!=これも当然初体験)、同じフロアの「心臓カテーテル室02」の中へ入る。おお、7〜8人も先生らしき白衣の人がいるじゃん。
部屋は30畳くらいある広さで、近未来の実験室という感じの佇まい。ベッドの上を上下に動く透視器具と左右に動く透視器具が交差するように設置されている。ベッドの左横にはモニター画面がずらり。
ベッドへの階段に誘導してくれたのは、白衣にキャップとマスクをしているけど、あの愛くるしい瞳で美香先生だと解る。わ〜い、わ〜い。
その美香先生の指示で、ベッドへの3段の階段を登る(ベッドの床面は通常よりかなり高い=横になった患者を立ったまま扱いやすいように)。でもベッドの上にはおびただしい量の細かいコード、パッチシールなどが散乱している。
え?この上に寝ちゃっていいんですか? 言われるままに、コードの上に寝ると、係の人(先生?)4人が次々にコードをパッチシールで足や腹や背中に、ぺたぺた貼付けて行く。
人造ロボットが修理される時に繋がれるコードのように、コードだらけ。あ、ただし頭部には何も付けてはいないよ。なーんていっているうちに、紙製のビキニパンティも美香先生の手によって剥ぎ取られているし。あ、そうそ、手首も(むだな動きをしないように?)ベッドに縛り付けられているのだった。
無造作に消毒作業が、右足付け根部分に行われる。その消毒水?がキャン玉にまで浸水し、それがなんともぴりぴりして滲みるのは、誰も言わずに我慢できた。おいおい、肩口にも消毒されたけど、今回の心房粗動のアブレーションは肩口からのカテーテルはないだろうよ。
それを伝えなくちゃと座っている隙に、全身に青い手術用の布がかけられる。頭部と下腹部だけはオープンになっている。美香先生が、右足の付け根部分を何回も何回も、位置を確かめるように押している。うふん。
いきなり、「じゃ麻酔いきます。ちょっと痛いですよ」というと、ジクっという刺された痛みが右足の付け根から走る。いつも「ちょっと痛いですよ」というコトバの後には、採血する時のチクリとした針の痛みくらいしか経験が無いものだから、そのくらいだろうと思っていたら、それの3倍は痛かったので思わず「いたっ」と声が漏れていた。(上半身と下半身が、その痛みを中心点として「く」の字に曲がる感じ)
少し経って、二度目の麻酔注射が差し込まれた時は、もう「チクリ」程度の痛みになっており、既に局部麻酔が効き始めていたようだ。三度目の注射の時はほとんど感覚がなかった。(っていうか、ほんとに三度目があったのかな?)
ベッドに寝転がった左側には、モニター画面が6つあり、その2つに血管の中を心臓に向かって進むカテーテルが、まるで精子の尾っぽが長いのが進んでいるように見える。
「もう、入ったんですか?」と聞いてみると「ええ、1本入りました」という美香先生の声に、「あんまり話しかけないでね」というトーンを感じる。ま、集中してやってくれているんだから、話しかけないでおこうと思った。
モニター画面を見ていると、どんどん順調にカテーテルが進んで行くのが見えるが、頭をぐっと起こして患部を見ようとしても、ようやく美香先生の手元が見えるくらい。なんだかTVの手術画面のように、美香先生のゴム手袋の手先が血で染まっているような気がしたが、気のせいだったのかな?
美香先生のきりりとした横顔が凛々しい。それが患者にとっての安心材料だ。ベッドの右側に立っているのは、美香先生ともう一人指導する立場のメガネの赤シャツ先生。そのメガネ先生が、後方に控えて数値をチェックしている先生に向かって「今、××はいくつかな?」「○○です!」と常にやり取りをしている。
心房粗動のアブレーションは、カテーテルを右足の付け根の大静脈から入れるだけだから、ベッドに上がってから降りるまで1時間くらいですよ、と美香先生は説明してくれていたけど、なんだかそれ以上かかっているな〜と感じがしていた。(見えるところには時計が無かったのであくまで感覚だけど)
しばらくして、「もう、ほとんど終わりで〜す」という美香先生の声。なのに、「鼻に酸素吸入器を」という指示の後、鼻の穴の入口に管が取り付けられた。鼻から息を吸うと、うん、濃い空気(酸素だっちゅうの)が肺に流れ込むが、なんで今、これが必要なのか?と頭の中は疑問系。
なんだか、胸の上の方、肩の下側というか、その辺りのカラダの内部から、イヤな感じの痛みというか、不快感が湧いてきた。今までに経験したことの無いような「感覚」で、押しつぶされるような、胸焼けのひどいような、苦しみのような。。。。
この痛み(不快感)は、アブレーションの一過程で必然的に起こるものだという認識がなかったので(麻酔が一番痛くて、あとは痛くないという話だったし)かえって不安になり、これは何だ?としばらくの間、自問自答していた。
その痛みが、波が打ち寄せるように、周期的にくるようになったので、たまらず「い、痛いっす」と先生に伝えてみた。そうしたらメガネ先生が「痛いですか。ではこれではどうですか?」と聞いてきたので、「それは痛くないです」と答える。(後から聞いた結果によると、痛いと感じたのは心臓の無駄な電気回路を切断するために焼き切っている作業の反応だったらしい)

回路を焼くのに時間はそんなにかからない、というのが事前に読んだ知識であったので、なんとなくおかしいなという感はあったけど、、その得体の知れない苦しみが周期的に押し寄せてきたので、顔面は汗でぐっしょりとなってきて流れ落ちる汗は、手が縛られているため対処できない。
「すみませんが、どなたか顔を拭いてくれませんか」に「はい、顔をふいてあげてください」とメガネ先生の声。要するに、これまで先生たちは、患部(写し出されるモニター画面)に集中するあまり、患者の表情には目もくれていなかったのである。
これはイカンでしょ。特に慈恵医大の建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」とは全く反しているのではないか。ま、建学の精神はそういうことを云わんとはしていないかも知れないが、やっぱり当の患者は局部麻酔であり、コミュニケーションを撮りながら手術するという事前説明からは反しているだろう。
とにかく、この苦しみの印象が(今思い起こしても)強く、素直に感情を声にしたほうがいいのではないかと勝手に判断して、うお〜〜っとか、ぐぅ〜〜っとか、割と大きな声で発し続けていた。
先生の方も「もう少し、もう少しですよ、がんばりましょう!」とか応援はしてくれるんだけれども、それが美香先生ではなくメガネ先生だったのと、あんまり気持ちがこもっていない応援だったので、その声によってはがんばれなかった。
なんとか「はい、これで終了しました。あとは回収だけです」というメガネ先生の声を聞いて、なんだか虚脱感。ふう。 カテーテルを回収する時も、カラダ内部の感覚はなかった。回収作業は美香先生だったかな。そういえば、足の付け根の痛みもなかったな。
確かこの時点で、先生から心電図のグラフを見せられて、「ほら、正常になりましたよ」と言われたのを確認したのが、すごくうれしかったのを覚えている。
青い布をはがされて、みんなしてボクのカラダについたコードの類をバチバチとはがし始めた。背中にまでけっこう汗をかいていたようだ。よほど痛みというか、胸の苦しみに耐えていたんだな、と自己満足。
一仕事終わった時の常套句である「おつかれさまでした」と、みんなからねぎらわれたので、まぁこちらも「ありがとうございました」と返しておいた。
なんだか次のアブレーションの時刻が迫っている(要するに、ボクのアブレーションが予想以上に期間がかかったということ)ので、すみませんが止血は廊下で行いますから〜となった。
部屋の固定ベッドから、移動用ベッド(実はこれが自分のベッドになる)に、大人6人で よいしょっとシーツごと横移動させられる。そのベッドに乗せられて部屋のすぐ外側の廊下へ。その際、美香先生がずーっと傷口を手で押さえてくれて止血してくれている。う〜、うれしい。
通常より時間がかかったのは、電流回路を焼き切るのに手間取ったかららしい。要するに焼き切ったと思って心電図を見るとまた元に戻って粗動が出ている〜を何度か繰り返したらしく「しぶとかったですね」と美香先生。
そういえば、手術前に尿道の中に管を入れるのはやりませんでしたね、と尋ねたら、あ〜今日は時間が短くてすみそうだったからやらなかったんですよ〜だって。これも痛いって聞いていたので、やらないでよかったな。
ほんとにこんなところですみませんね〜と廊下であることを美香先生は何度も詫びていたが、別にこの廊下は看護士さんしか通らないから、大丈夫なのに。20分くらい下腹部を止血してから、下半身を固定するために太いテープでがっちり固められる。これから約9時間、傷口が完全に塞がるまで下半身固定の刑になるわけだ。が、右足が動かないように重しを置いたりはされなかった。(他の人の体験談を読んだら、そうされた人がいたけど)
ベッドごと6人部屋に戻ってきたら、相方が待ってくれていた。戻って1時間したら水を飲んでOKだけど、カラダを起こせないから、耳元にコップを持ってきて折れ曲がるストローを口にくわえてちゅうと飲むスタイル。尿瓶もベッド脇に用意された。
1時間半後の15時半に昼食が用意された。昨晩の夕食以来21時間半ぶりの食事であるが、食欲はそんなにない。食べやすくしてあるという病院サイドのふれこみも、ごはんがおにぎりになっているだけじゃん。
頭を枕に沈めたまま食事をするというのは、介護する人がいないと無理である。ごはんは直径が100円玉くらいにしないと口に入らないし、汁物はこぼしちゃうし。まだ麻酔が若干残っているようで、うまく咀嚼できないし。
まぁ、相方は「病人みたい!」と病人介護ごっこを楽しんでいたようだが、ボクはオヤジの晩年のベッド上での姿を想い出して、なんだか耐えられなくなって、申し訳ないけど、半分程度食べたところでごちそうさまをした。
相方は16時頃、家に戻った。
18:00 夕食 担当の看護師さんが名前が想い出せないような人だったので、食べさせてもらうのをやめて、自力で食べてみることにした。ベッドの高さを最大限上げてもらい、サイドテーブルとほぼ同じ高さにして、顔だけ横向きにして、スプーンで食べ物を口に運ぶ。
食べ物は少しずつしか口に入らないし、咀嚼するにも飲み込むにも、結構力がいるもんだなぁ。食道が横向きだと飲み込んだ食べ物もうまく入って行かないし。結局、食べ終わるのに45分もかかった。あ〜つかれた。
うとうとしながら、23時(=テープを外してもらえる時刻)までただただ待つ。幸い、尿意がおこらず尿瓶を使うこともなく。
23時になったのに、看護士さんがこない。10分待って、ナースコールする。長野県出身の畔上さんが添田先生を連れてきた。二人でテープをはがしてもらうが、やっぱり畔上さんのほうがはがし方に愛があったな。
傷口も良好で出血もしていないので、消毒してからガーゼで止め直してもらう。もう起き上がってトイレに行ける。点滴棒を引きずりながら、トイレに行って小便(カップに全部入れるように言われる)をしようとするけど、なかなか尿がでてこない。あれ? なぜ出てこない? 膀胱部分に力を入れて、少しずつ絞り出す感じで、何回かにわけて、ようやく200ccくらい出した。
ベッドに戻って、点滴の管をいったん外してもらって、Tシャツ様式のパジャマに着替えさせてもらう。畔上さんに御礼を言って退室してもらったのが23時半だった。
おお、こんなに長くなってしまった。

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